表紙の作品 「手稲鉱山秋色」 1934年 油彩・キャンバス 53.2×65.4cm 今回初めて確認された、札幌の手稲山を描いた作品。 手稲鉱山は、1970年代までに金を中心に採掘を行っていた鉱山で、現在も札幌市手稲区に 「手稲金山」などの地名が残る。 この作品が描かれた1934(昭和9)年の夏、木田は当時の北海道長官・佐上真一からの依頼を受け、 旭川に赴き大雪山の連作を描いている。手稲山を訪れたのは、連作を書き上げた後と思われるが、 画面全体に用いられている茶系統の色調が、大雪山の連作と共通している。遠景に手稲山を望み、 近景の左右に木立を配置するなど、山を相手に大胆な構図を試みた木田の意欲を感じることができる。 かつて有島武郎が、初めて木田の訪問を受けた時(1910(明治43)年)に、強く印象に残った木田の 油彩画の記述が、小説「生れ出づる悩み」の中にある。それは8号のカンヴァスに描かれた「軽川あたりの 泥炭地を移したと覚しい晩秋の風景画で、軽川は現在の手稲にあたる。 小説に登場する時代の作品を、現在見ることは叶わないが、同じ札幌・手稲の作品を眼にすることが できるのは、現代の幸福である。 (学芸員 岡部 卓)